とある老人に、その孫が置き場を兼ねて送りつけた『ねんどろいど121・セイバー スーパームーバブル・エディション』。
その人形が動き出した時、老人はただ思う。
「いよいよか」と。

現象を『妄想』と断定する老人と、彼に「愛を教える」とのたまう小さな同居人の生活を、特に色彩豊かにも、詳細にも描くことなく淡々と綴った短編。

……という内容の小説なんですが、これもコンテストに出すために書いた気がします。

が、正直に言って、何のコンテスト用だったのか全く覚えてません。結果も当然×。

個人的に『老人と○○』みたいな組み合わせは好きなので、今後もこういうのを書いてしまうかも知れませんね。

―――――――――――――以下、本文―――――――――――――――――

孫からもらった『ねんどろいど』なる人形が動き出した時、最初に思ったことは「いよいよか」という事だった。
なるほど、長女夫婦がそういう施設を積極的に勧めてくるのも無理もない話だ、といつもだったら腹を立てているその言動に一定の説得力を感じたのは確かだ。
さておき、しかし、自分ではそこまでとは思っていなかった脳の劣化は、明らかに運動している、少なくともそう認識できる、かの人形を見れば一目瞭然だ。
だから私は「いよいよか」の次に思考したのは、長女夫婦の住む都会の家の電話番号を思い出そうとすることだった。
しかし、どうにも思い出せない。仕方ないので連絡先を記載している手帳を見ることにした。
私が動いているかの人形を横目に見ながら、その人形を置いている文机の引き出しをごそごそとし出すと、かの人形が何事かを言いたげにしていることがわかった。
だが、よく聞こえない。
私の聴力の問題ももちろんあるのだが、かの人形の声量の小ささも原因だろう、と責任をなすりつけるようなことを考えてしまうのは、自身の聴力の衰えから、自分の老いを否定したいという意識がきっと影響を与えているのだと冷静に思考してもいた。
そんな私をよそに、かの人形は声を上げるような、どこか必死な動作を繰り返している。少なくともそう認識出来る以上、私もそれを無視するのはどうにも心苦しくなった。
連絡先を確認する前に、私はかの人形に、正確には、全体の大きさの割にはやたらと強調されているその頭部、これまた均衡を欠くほど小さな口元に耳を寄せてみた。それでどうにかかの人形の言葉を聞こえるようになった。少なくともそう認識出来る。我ながら、妄想にしては良く出来ているな、と他人事のように感心してさえもいた。
どういう原理かは不明だが、次第に最適な声量に調整され始めたかの人形が言うには、どうやら私は選ばれたらしい。
独身者であり、心寂しい人間に、その人形の世界の統治者であるグッスマ神という、かの人形達の造物主が粋な計らいとして、魂をその人形に吹き込んだのだそうだ。
むやみにメルヒェンな設定はさておき、私としてはそう言われて苦笑せざるを得ない。
確かに私は十数年前に妻を亡くし、それからずっと一人暮らしを続けてきてはいたが、しかし別段、心寂しくなどなかったからだ。
むしろ、一人になって自由を満喫しているとさえ考えていた。亡き妻の遺影が飾られている仏壇前では決して言えないが、それが私の本音だった。
私には興味の無い物産展やバーゲン等でデパートに駆り出されることも、お茶会という名目で彼女の友人達が大挙して来訪し、長時間、茶を飲んでベチャクチャと声量を控えることも意識せずにおしゃべりを興じる様子を無理矢理知らされることもなくなった。
日々の生活等でも、好きな時間に好きな品を好きなだけ食べられるようになり、寝る時間、起きる時間に文句を言われることも無い。どこで読書をしようが、新聞を広げようが嫌な顔をされることもなく、文句を付けられることもない。
妻を亡くして一番に実感していることは、独身という立場はこれほどまでに自由だ、というまるで若者の意見のような、少なくともソレと似通った意識だった。
独身者特有の生活上の不便は確かにあったが、だが、その程度しか妻の不在でのデメリットは感じなかった。私が長年、大学の研究室が居室であるような生活を続けていたことも無関係ではないだろう。
『亭主元気で留守が良い』という言葉を生前の妻は明言こそしなかったが、しかし、私が大学を辞め、自宅にいつもいるようになってから明らかに私をあまり歓迎していない言動をしだしていて、おそらく彼女はこの言葉を体感しながら息を引き取ったのではないか、と私は認識している。
こうして改めて考えると、なんとも冷め切った夫婦関係だとも言えるが、特にそれを問題とも思わない。少なくとも、一男二女も子供を育て、世間に送り出すことは出来たのだ。誰に文句を言われる筋合いもない。
少なくとも私はそう考えていた。
だから、何故か「選んでやったのだから感謝しろよ」的な、どこか偉そうな態度をしているかの人形に、私と妻のこと、正確には妻が生きていた時の生活や、今の心境等を説明してみた。
おたくさんらは余計なお節介をしてくれたのですよ、と言外にほのめかしてみたのだ。
何しろ、おかげさまでこれから長女に連絡して施設に入らないといけない、少なくともその算段が必要になってしまったのだ。
ある意味では、私の脳に関する現状に正しい認識を与えてくれたのだから感謝するべきかも知れないが、はっきり言って不快である。
だが、かの人形は私の言葉を聞いているうちに、その身体の割には大きすぎる頭に付いている、当然、ソレに見合った大きすぎる顔を赤くさせたり、青くさせたりし出した。要するに顔色を変えているわけだが、良く出来ているものだ、と妄想相手に感心してしまう。
そんな私の言葉を聞き終わったかの人形は、その小さな手を使い私を指さし、私の思考、夫婦は間違っている、と憤った様子で訴えてきた。
かの人形が言うには、夫婦とは互いを支え合い、補い合い、そしてすべからく愛情を湛えているべきであり、そんな無味乾燥とした言葉を言える私はどうやらやっぱり心寂しい人間である、と非難してさえきた。
なるほど、どうやら美しい理想論をこの人形は保持しているようだ。面倒極まりない、といわざるを得ない。
とはいえ、所詮は妄想である。まともに相手をしても始まらない。むしろ、まともに相手をし出す時こそが末期だろう。
なので私は、はいはいそうですか、それは申し訳ありませんでしたね、とこれこそ心寂しくも、心無い態度で応答した。
そう応答した私は殴られた。
かの人形はその大きさに見合わない跳躍を見せ、その意外な運動能力に呆気にとられる暇も無く、再び引き出しをごそごそしだそうとした姿勢のままの私の頬をぶん殴ったわけだ。しかも、普通に痛い。腕力は人並みにある、とかの人形は出会い頭のそれとは打って変わった大きな声で自らの身体的特徴を主張した。そういう事は早く言って欲しかった。
だが、座っていた椅子から転げ落ち、頬を押さえながら机を見上げ、その要求をしようとした私は、その事を口にすることは出来なかった。
かの人形が涙ぐんでいたからである。
どうやらかの人形は、人間の愛情というものを心の底から信じているらしい。その信仰を否定するような人間を目の当たりにしてなにか感じる所があったようだ。
私はまるで赤ん坊のような容貌の人形が悲しげに眉を寄せている様を見せつけられたわけだ。その顔で傷つきました、と言葉にされずとも、無言で訴えられて何とも思わないほど乾いている人間ではないようで、私は、私が殴られた反動で同様に吹き飛んだらしい、床に落ちていた眼鏡拭きでかの人形の目元を拭ってやった。
すまなかった、と機嫌を取るような言葉を言いながらだったのが功を奏したのだろう、激昂していたかの人形は、分かれば良い、とどこか不遜な感じで私にされるがまま、その大きな頭から考えても、やはりあからさまに大きすぎるように感じる目を閉じた。
触れたその人形の顔は硬かった。表情の話では無く、物理的に生物らしからぬ、本当に人形なのだなと実感出来る硬度だった、いうことだ。
これがどうやって表情を変えているのかがとにかく腑に落ちない所だが、所詮は妄想である。上手いこと出来ているのだろう、と我ながら適当極まる思考でソレに関する考察を放棄した。
さて、涙を拭かれ、常態に戻ったらしいかの人形は、どこか気高い様子で「これからあなたに愛情というモノの素晴らしさを教えなければなりませんね」と教師のようなことを言い出した。実に偉そうな人形である。
是非とも遠慮したいところだが、かの人形は聴く耳を持ってくれない。あまり強く自己主張することもはばかられる。二度も殴られたくはないからだ。
正直、涙をぬぐってやりながらも頬はジンジンと痛んでいたし、きっと直ぐに腫れ出すだろう事が分かるくらいに痛みが増してきていた。老いたこの身には響きすぎる愛のムチである。
そのムチで教わったのは人間的愛情とは遠い所にある動物的な警戒心だったのだが、それは実に効率よく、私の行動を縛ってきたわけだ。サーカスの猛獣たちが、調教師に対してどういう感情を持っているのかを、この歳になって実感出来る日が来るとは夢にも思わなかった。
とはいえ、妄想である事が前提だ。
現実にこんな事は起こりえない以上、まともに相手をするのはゴメンである。少なくとも殴られた痛みは現実的に身体に及んでいるのだ。自分のうちにこのような想像力が潜んでいたとは、と意外に思わなくもないが、しかし、所詮は老人性の幻惑である。これもまた自惚れるにも値しない現実だ。むしろ痛覚すら現実と非現実の境を無くしている事実に肩を落とすべきだろう。
滔滔と愛情概念にご講義下さっている人形には悪いが、私としては一刻も早く長女夫婦と連絡を取りたい欲求が増すばかりである。
だが、かの人形の目の前で連絡先を探る作業は賢明とは言えないだろう。自分を信じていないのか、とまた暴力に訴えられる可能性があるからだ。もうすでに躾けられている。暴力は強制的なまでに教育にはうってつけ、という危険思想を意識せざるを得ない。
だが、やはり体罰はよろしくないな、と年齢不相応に殴られた側の人間としては認識を新たにするだけだ。
私がどうやって長女夫婦と連絡を取るべきかと思考していると、ふと、かの人形はその小さな口から語っていた愛情学講義を止めた。かの講義を一切聴いていなかったことがバレたか、とまるで不真面目な学生のように内心戦々恐々としていると、かの人形は自己紹介がまだだった、と言い出した。
人間関係の構築に互いの名前は不可欠だという認識は人形でも持っているらしい。いや、私が作り出した妄想なのだからまごうことなき私個人の意見でしかないのだが。
かの人形は自らの胸に手を当てて、自らの名前が『セイバー』である、と自己紹介してきた。
威風堂々とした態度であり、その身につけている西洋甲冑のような装飾から納得出来る名前である。だが、それは個人に付けるような名前では無いようにも思う。どちらかというと中世の職業名のような名前だな、と私は思った。
思っただけでなく、思わず口にしてしまったのだが、そんな私の言葉に、かの人形、セイバーも首を傾げていた。「わたしもそう思いますが、元ネタとわたしは別なのでよく分かりません」という、どことなく間の抜けた意見を口にしていた。
とはいえ、私の脳が思考している妄想なのだ。かの人形のことはもとより、元ネタのことなどサッパリなので、さもありなん、やはり良く出来ている、と言えるだろう。
実際、セイバーという名前は、人形が収まっていた箱に記載されているそれと同じだったのだ。つまり、かの人形の名前を私は紹介されるまでもなく知っていたということになる。自明すぎる話ではあるが。
さておき、会話の流れとして私も自己紹介せざるを得なくなったのだが、しかし、それをするよりも前に気になることがあった。
どうでも良いと言えばどうでも良いのだが、しかし、それでも気になったのは、かの人形の性別である。
外見や名前から考えても、かの人形は私と同性だろう。その彼から愛情というモノを教わる、という言動は、正直、私個人としては素直に受け入れがたいものがある。
妄想相手に何を真面目な、と自分でも馬鹿馬鹿しく思うが、ごくごく個人的にだが、それだけ拒否反応の出る話だったのだ。
私がその事を口にすると、またしても殴られた。
しかも、今度は先ほどよりも強い衝撃を感じる暴力行為だった。
たまらずノックアウトされた私は、遠ざかる意識の中で、彼ではなく、彼女なのだなと認識を新たにした。
私は、だったら紛らわしい格好と名前はよしてくれ、と文句を付けた。無論、意識の中で、だ。さすがに迂闊にも口に出して、とどめを喰らい臨終するのはまだご免だったからである。

☆☆☆

かの人形、セイバーとの生活が始まった。
始めざるを得なかった、というのが本音である。
何しろ、セイバーの目を盗んで連絡した長女夫婦はちょうど旅行中だった。
時期が悪かった。
長女夫婦は年末は毎年海外で過ごしているのだ。今回はハワイだったらしい。電話口からの長女のガミガミとした妻譲りの声の合間に、南国を想起させるウクレレ混じりののどかな音楽を聴こえてきて、私は気が抜ける思いだった。
折角の旅行中に私の老いを感じさせる妄想を訊かせて水を差すのもはばかられ、結局、私は『人形が動き出し、愛情を説きだした』などという妄想を口にすることは出来なかった。
とはいえ彼女を差し置き、長女以外の子供に先に連絡を入れるのは、長女の性格上あまり好ましい行為ではない。妻の葬式の時など、うっかり長男に先に連絡を入れてしまい、大層面倒な事になったのだ。しかも、立場や性格上、今後、施設の事を請け負うのは長女になるのは明白である。禍根を残しそうな行為は慎むべきだ、と判断したのである。
少なくとも、長女が帰国するまでは、かの妄想に取り合わなければならなくなったわけだ。なんという不幸であろうか。
セイバーは、正直、手のかかる人形だった。
何しろ、普通にメシを食うのだ。
これが体格相応な量だったら私としても苦言は呈さないのだろうが、人並みに食事を要求してくるのだ。
始めて食卓を囲んだ際、私は彼女の体格から想像した、つまり、かなり少ない量の食事を提供したのだが、勘違いした彼女は、私の分のご飯をもりもりと食べ、平らげた。おかげでその日の私の晩飯はカップ麺を余儀なくされた。
しかし、ニコニコと上機嫌に、体格から考えると尋常ではないだろう量の白米を口に運ぶ彼女を見て、暴力への怯えではない理由から、それを止める事は出来なかった。
さておき、我が家の家計簿では久しく意識もされなかったエンゲル係数が数字として計上さられることになったわけだ。
グッスマ神というお節介な上位存在に、生活費の節介も焼いて貰いたい所だが、銀行の口座にはそれらしい振り込みはない。いやはや、托卵でもされた気分である。
そのカッコウの雛のような彼女は、それにしてもよく食べた。明らかに彼女の体積以上の食事がまるで魔法のようにその小さな口に収まっていくのだ。その様子は爽快ですらある。
しかし、いつまでも皿に白米をのせるのは気持ちがイイ物ではなかったので、物持ちが良い、というか物を捨てられない質だった妻が、生前いつまでも取っていて、他界してから、もう年齢的に物が増えることもないので放置していた、まだ次女が家に居た頃に使っていた茶碗を彼女専用にすることにした。
多少食べにくくなったように思われるが、どうしてかセイバーは殊更喜んだ。おそらく、中古品だということを口にしなかったのが主な原因だろう。
その茶碗で二杯は毎食要求するため、私の食生活はかなり改善された。少なくともほぼ毎食トーストだけしか口にしない生活からは脱出出来たわけだ。幸か不幸かどちらかなのか、というと個人的には作る手間を考えるとどうだろう、とお茶を濁したいところである。
そう、毎食の用意をするのは私である。
セイバーは家事という方面には何の役にも立たなかった。
掌サイズという彼女の体格的にもそれは仕方ない。期待はハナからしていなかった。だが、それを彼女に正直に言うと彼女はすねていじけた。実に面倒な人形である。
面倒ついでに言うと、彼女は生真面目かつ、実直な性格の持ち主だった。
朝起きる時刻、夜眠る時刻はもとより、毎食の時間や、掃除の頻度、ゴミ出しの区分や食品の管理等々、まるで何十年前に他界した私の祖母のような事を事細かに口出ししてきた。
『面倒ついで』と頭に付いていることから分かるように、私は彼女のその性格を面倒だな、と思っていて、彼女の言うことの大半を聞き流しながらもそれを完全には無視出来ず、生活の改善を余儀なくされた。
健全な生活ではあるが、多分に窮屈である、と意識していた。正直に言ってしまえば、あまり歓迎出来る日常では無かった。
彼女とひなたぼっこすることもあった。
老人と手のひらサイズの人形のひなたぼっこだ。パッと見、なんとも牧歌的な光景だと自分でも思ったが、それは日の光を浴びないと自律神経が、とかいう私の年齢や生活態度を改善するべく言い出された、ある種、健康維持のための作業だった。名称から連想出来るイメージ通り、ほのぼのとした光景ではなかった、と断言出来る。
だが、瞳を閉じ、一緒になってだらりと日の光を浴びている小さな妄想の同居人を見て、なるほど、猫などの小動物を飼いたがる発言に一定の納得が出来たようになったと感じられた。
彼女はあまり静かな同居人では無かった。
落ち着いた性格をしていたのだが、先ほど記述した通り、多分に真面目すぎる嫌いがあったためだ。
小言はもとより、それはテレビの中のどう考えても無関係な誰かの発言に憤ったりしている様からも窺えた。
具体例を挙げると、今が良ければ将来はどうなっても良い、という類いの、若者にありがちな無軌道かつ将来設計皆無な発言などにもそうだった。だが、当人さえよければ批判対象ではない、という私の意見にすら噛みつかれてこられた時はほとほと困った。
しかし、沸点が低いのと同様、忘却するのもまた早く、モニター内の映像が切り替わり、それが甘い物の特集だったりすると、彼女は押し黙りひたすら集中して映像を眺めていた。ある意味、あの若者よりも瞬間に生きる刹那的な性格をしているとも言えるだろう。とても当人には言えなかったが。
気まぐれにプリンなんかを与えた日には一日中その話をし続けた。気に入ったのなら結構な話なのだが、その後、ことあるごとに「あれはいつ、また目の前に再登場するのか」とほとんど催促のような言動を繰り返されるのだからたまったものではない。
愛情について教えてくれるはずの彼女が、ある意味一番明確に教えてくれたのは、食欲というものに正直すぎる言動を繰り返されて、それを聞き、要求された他人がどう思うか、という反面教師的な指導が最も印象的だった。
愛情というそれよりも求めていない方面の講義である。得ても身につかない、身についても役には立たない感情と知識だった。
そんなある日、彼女は一つの提案をしてきた。
それは彼女自身のモチーフである、とあるキャラクターの登場する作品を鑑賞してみないか、という誘いだった。
誘いの体をなしてはいたが、明らかに彼女自身が見たい気持ちを強く持っていて、それに起因している要求である事は明白だった。
言動の端々から感じていたが、彼女は自分の元となった作品などのことをほぼ知らないようだった。
自分の事を知りたい、というまるで若者のような意識を彼女は日頃から持っているのだろうとは思ってはいたが、これほど気にしているとは思っていなかったので私には少し新鮮な気持ちだった。一定以上年齢を重ねると、自分の事など意識しなくても生きていけるという事実を、特に感情を持たずに肯定出来るようになるからだろう。
私は彼女の提案を受け入れることにした。
ちょうど本を読み終わった所であり、時期的にテレビなども新年が始まる合間で特番ばかりで多少飽きが来ていたから、というセイバーには口には出来ない理由がそれをさせた。
彼女が言うには彼女のモデルが出る作品はゲーム、アニメ、漫画等々、山のようにあるらしい。それら全てを彼女は鑑賞したい旨を主張してきたが、それは却下させて貰った。時間がいくらあっても足りなさそうだったからであり、そこまで暇はしていないのだ。へそを曲げられても答えは変わらないし、変えなかった。
数年前に長男が「もう使わないから」と送ってきたテレビはネット配信対応型なので、それを使用してアニメーションを視聴することにした。アニメーション作品にした理由は、ひとえに楽だからだ。見ているだけで済むのならソレに越したことはない。
しかし実際に楽だったかというと、素直に頷けない所である。そのテレビの使い方がよく分からなかったためだ。試しにセイバーに訊いてみたが、彼女は私以上に機械音痴だということが判明するのみだった。頼りにならないこと甚だしい人形だ。
なんとかリモコンを弄っていると当該作品を配信しているサービスにアクセスすることが出来た。出来た、が、幾つか似たようなタイトルがあり、しかも題名が聞き馴染みのない英文なのでどれがどれだかもよく分からない。セイバーも同様のようだった。
仕方ないので一番古い物を選択してみて、一話辺り二百円程度、全二十四話分を支払う羽目になった。思わぬ出費だが、目に見えて瞳を輝かせているセイバーを目の前にして、今更止めようとは言えない以上、ただただ無言で会員登録用にカード情報を入力するばかりである。
それから、ようやく視聴を開始した。
しかし、全二十四話は長い。結局、一週間程度かけてシリーズを通して視聴し終えた。
個人的な感想を述べると、物語自体はとても良く出来ていて、なるほど、これはかの人形が主張するように人気になるのも頷ける、と思えた。
作中、かなりの数と頻度で、私個人には耳馴染みのない単語や言い回しがあったり、内容が過激すぎるのでは、と熱心に画面を見つめる人形の心境を配慮したくなる展開も見受けられたが、中途半端に止める事はやはり出来ないので、ただただ早く平穏な場面にならないかと祈るばかりだった。
結末まで見終えて、私は正直、この作品をセイバーに見せるのは、ちゃんと結末まで調べてから実行するべきだったのでは、と思わざるを得なかった。
話としては、個人的に美しい終わり方だ、と判じられたのだが、しかし、セイバーというキャラクターから生まれた、その彼女とは別個の存在としての目の前の人形にどう声を掛けるべきかを迷ってしまう結末だったからだ。
古い考え方かも知れないが、好いているのなら一緒になって欲しかった、という気持ちにもなる終わり方だったのだ。
そして、視聴する姿勢のまま動かない小さな背中を見て、その気持ちはより強くなった。
私はどう声を掛けて良いのか分からず、つい、その身体の大きさに不釣り合いに感じる大きな頭を指先で撫でてみた。
セイバーは「止めて下さい」と抗議してきたが、しかし、その指を避けたり殊更払いのけたりしてこなかった。どういう気持ちを彼女が持っているのかは、妄想元である私にも分からない。だが、彼女の硬い樹脂製の頭を撫でていて、遠いどこかのなにかを思い出すような、言葉にならないぼんやりとした感情を抱いたのを覚えている。
その日の夜、私は夢を見た。
夢の中で、誰かが何かを謝っている。聞こうという意識を持つと、その声は明瞭に頭に入ってきた。
「今回の件は誤配送でした。お客様には申し訳ありませんが、正規の顧客の元へと再配送させて頂きます。誠に申し訳ありませんでした」
なんとも事務的な、夢らしからぬ言葉である。意味が分からないし、そもそも夢だ。まともに取り合うつもりもなく、私はただそのまま睡眠を続行するのみだった。
翌日、セイバーの姿が消えていた。
小さすぎる程に小柄な彼女がどこかに紛れているのではないか、とアチコチひっくり返して探してみたが、彼女の銀色の甲冑姿を見つけることは出来なかった。
折り悪く、年が明け、帰国して連絡が取れていた長女が私の住まいを訪れた。そこで彼女は私のその様子を見てしまい、私から言い出さなくても施設の話になった。ある意味では渡りに船だったのかも知れないが、どうにもタイミングの悪い話である。
そもそも施設になど積極的に入りたくもないし、その原因たる小さな彼女はもういないのだ。だから、折角来てもらったのだが早々にお帰り願った。正直、あまり冷静では無かったのだ。
結局、そんなこんななトラブルの後も小さな彼女は消えたままであり、そして、私の生活も元通りになった。
なった、はず、なのだが。
だが、あれだけ小言を言ってきていたあの彼女が居ないと、私はどうにも色々無気力になってしまった。
食事もまたトーストを主食とした簡素なモノに逆戻りし、しかし、今まで以上に味気なく感じる。案外とグルメだった同居人がいない以上、味などどうでも良いのに、だ。
掃除などもしたくならない。洗濯どころか風呂すら面倒に感じてしまうのだから末期的である。そして、それでも何も言われないという事にやはり物足りなさを感じる。積極的に文句を言われたいわけではないし、むしろ普通に小言を疎んじてもいたのだが、一体どういう心境の変化だろうか。自分でも分からない。
テレビなどで、あまり真面目ではない意見を口にする若者を見て、もうハラハラすることもない。八つ当たりに怯える心配も無いのだから堂々とテレビを見ればいいのだろうが、ただただつまらないばかりである。
とはいえ、ある意味では体調は回復した、とも言えるのだ。それは喜ばしい事だろう。
彼女が居なくなって一週間程度が経過し、いつまでも妄想に取り合うのもよろしくなかろうと、私は妄想生活中の諸々を片付けることにした。
バスタオルや女性物の衣類などを使った小さな寝具などを片付け始め、直ぐに終わる。それほど長い間時間を共にしたわけではないのだ。当然である。
ふと、彼女が使っていた、中古の茶碗を見て、それで一生懸命白米を口に運んでいた小さな彼女の姿を思い出し、つい笑みがこぼれる。
が、すぐに、まるで吹き荒ぶような寒々しい気持ちを感じた。
もうこの茶碗を使う誰かは一人も居ないのだ、という現実をまざまざと知ったからである。
そして、このまま一人で朽ちるのみという恐らく的中するだろう未来予想は、もうそれほど遠い将来の出来事ではない。
人は一人で生きていける。これは事実で、現実だ。
だが虚しい生き方だ。今ではそう思う。そして、そんな思考は得たくなかった。気付かなければ幸せである類いの認識である。だったら知りたくなど無かった。
もう、これから新しい何かを始められるほど意欲溢れる年齢でも性格でもない。ため息を吐きつつ召されるのを待つばかりになるのだろう。
早速、一回目のため息を吐いた。
吐いて、直ぐに反対に息を呑むことになる。
古い住居のどこかで、何やら物騒な物音がしたからである。甲高い破裂音だったことから、たぶんガラスが割れた音だと判断出来た。
この辺りで強盗被害が報じられたばかりだった。環境的に、自分には無関係な話、などと楽観出来るはずもない。
私は手頃な獲物を片手に、恐る恐る家の中を探ってみた。まず警察に連絡するべきだった、と気がついたのは電話機が遠くなってからだった。
「孫の手を片手に持って何の遊びですか?」
侵入者は小柄だった。むしろ小さい、という形容が正解だろう。
窓を割って侵入してきたのは、いつかの妄想、動く人形であり、ねんどろいどなる商品のセイバーだった。
彼女は新しい誰かに再配送されかけて、そこから大冒険の果てにここまでたどり着いたのだ、とやはりどこか偉そうな態度で説明してきた。モチーフ元である作品内では、どうやら王様だったらしいのだから当然ともいえる。しかし、そのモチーフ元と彼女は別個の存在でもあるはずなのだが。
しかし、事実、彼女の身体のアチコチが汚れていて、『大冒険』なるその言葉が真実である事が窺えた。
私がどうして戻ってきたのか、と尋ねると、「あなたほど心寂しい人間が他にいるとも思えませんし、首でも括られたらと思うと寝覚めが悪いので」と可愛げの無い返答をしてくる。
余計なお世話だ、とつい言ってしまいまた殴られるか、と内心怯えたが、彼女はそんなことよりも、と言い出した。
「お腹が空きました。ご飯を下さい」
厚かましさも極まった感がある発言である。まさか断らないだろうと無警戒にニコニコしているセイバーを見て、私はため息を吐く生活が続くことを予想した。
だが、先ほどのそれとは違う感情のこもったため息になりそうだ、とあまり不快には思わなかった。
とりあえず、鬼籍に入るその日までは、退屈な気持ちは抱かずには済みそうだ。
今は施設のことはひとまず置いておくことにする。本当にいよいよな時まで、小さな彼女と過ごすのも悪くはない、と私は口にはせずとも思った。
だから、今はただ、どうやったら舌の肥えだした依頼者を納得させられるかという、ひょっとしたら幸福なのかもしれない悩みを解決するべく、今日の献立を検討しはじめることにした。