ここから書かれているのは、色々台無しな裏話です。あの作品を好意的に思う奇跡的な感想の持ち主がもし万が一いらっしゃったのなら、その方は読まれない方がいいのではないか、と執筆者として警告しておきます。いないでしょうが、一応。

さて、『第二駄文』とかなり身も蓋もない呼び方をしている投稿小説『御所川原風華の世界』についての裏話なんかを、求められても居ないのに書いてみるのも悪くないと思ったのでつらつらとキーボードを打鍵してみようと思います。

といっても、またしても、コレを書いている段階ではかなり前に書いた話なので、正直ほとんど覚えてない、という告白をまずしないといけないワケなのですが……。
ただ、ぼんやりと覚えているのは、この作品、多少実験的な要素を含んだ作品だったっけな、という朧気な記憶です。
とはいえ、たぶん、それは明記しないと誰にも分からない類いのお試し要素なのですが、まぁ、覚えている限りのことを書いてみます。

まず始めに『実験的』などと書くと誤解されそうなので明言しておくと、やたらと挑発的な変な理屈を綴ったこと、宗教など、あまり口にされない、少なくとも私の知る限りライトノベルというジャンルで当該分野に色々な批判を述べてみた事などはソレには含まれません。ソレは特に実験として明確に意識して書いたわけではない、実験という行いとして書いたわけじゃない、つまり、これらとは別な部分で試している所がありました。

もったいぶるようなことでもないのでサッサと答え合わせしますが、それは『ネガティブな文章にどのような効果があるのか』というのと、もう一つは『自分がどこまでアドリブで話を綴れるのか』という個人的な試しでした。

ネガティブな文章、というのは文章内で書かれた内容のこと、ではなく、その文章自体の話です。
たぶん、あの作品、読んでいてきっと読みにくい所があった、気が滅入るような所があったのではないかと思います。
それは書いている内容もそうなのでしょうが、それ以上に否定的な書き方をしていたからだと思います。たぶん。

あの作品、やたらと否定的な記述方法をしているんです。具体的には『ない』という単語というか書き言葉を多用してる、ということです。

『ここまでお付き合い頂いている希少な方々はきっともうご承知だろうが、僕はあまり他人を理解しようとは思わないし、さらに他人に理解をそれほど求めていない。
というか、正確には他人の価値観を認めてはいるし、それを尊重することを僕は是としている。
だから例えば、心霊を見たことがない自身の経験から頭ごなしにそれがない、何て言い張るつもりも、それ(つまり心霊)をある、と言ってはばからない人物に対して証拠を並べて論破をするつもりはないのだ。』

試しにランダムに抜き出してみましたが、たった数行の中で『ない』という言葉が散見されますね。まぁ、実際に一生懸命、主人公君が否定している場面というか説教話パートなので仕方ない気もしますけど、でも、たぶん意識すると『ない』という記述は文中にかなりの割合で含まれていると思います。

どうしてそんなことをしたのか、そこに何の意味があったのか。
正直言って忘却してます。どうしてこんな事しちゃったんでしょうね、よく分かりませんな。
大人気作家様とかだったら意味のある実験になるんでしょうが、マイナーどころか知名度という物が皆無なトーシロが行って意義のある行為であるとは考えにくいですし、ほんと、なんでこんなことをしたんだろ。たぶん、好き勝手したかったんでしょうね、きっと。

あぁ、説教話の部分は本文で主人公君が書いて有る通り、単なる文字数稼ぎとして書きました。
これもまた実験だったことを思い出しましたが、どれだけ日常的な話で一話当たり一万二千文字を書くことが出来るか、という実験だったんです。
んで、まぁ、普通に無理だったのでしょうが無いので色々主人公君に喋ってもらうことにしたのが真相です。それ以外にあの説教パートには意味を込めてません。味気ないですね、真実なんて。

ついでに書いておきますが、あの説教パート、私個人の意見とはほぼ違います。どの部分が、とか書き出すと、主人公君はかなり色んな分野に喧嘩を売っていたので長文になりすぎるので割愛しますが、そうですね、主人公君の思考と著者である自分のシンクロ率は十%以下、というところでしょうか。EVEだったら活動が困難なレベルですね。葛城さんに叱られるどころか心配されそうです。悪くない。

あの説教パートで書いたことは、きっと主人公君だったらこう言うだろうな、というソレこそ幻想ともいえる思考で言説でした。あの部分にはあまり気持ちは込めていないのは確かです。あくまで文字数稼ぎだったわけですし。
とはいえ、そのおかげで「おお、案外日常バナシでも長文って書けるものなんだなぁ」という認識が得られたので万々歳でした。
あぁ、もう一つの実験として記憶しているアドリブ云々という所でもあるわけです。

第一駄文『ラブ&なんちゃら~』は自分ととしてはかなり細かくプロットを思考した作品だったのです。細かい部分はアドリブだったし、結末に至るまでの大半は流れで決めたようなものでしたが、でも全体の流れはちゃんと考えてもいたので完全なるアドリブ、というわけではありませんでした。
それに、その第一駄文はかなり動きのある、アレの次はコレ、コレの次はソレという話だったので文字数や書くことには困りませんでした。
ただ、第一駄文を書いていて思ったのは、展開ばかり、動きばかりが目立ってしまって、細かい部分が端折られている感を執筆者としては感じたのです。

自分の悪い癖として、展開を急ぐあまり心理描写や情景描写が不十分というものを自覚してます。
書いている本人はどんな風景の中で、この人物はどう思っているかは当然分かっているのですが、自分しか解っていない、文字から読者に伝わっていない、というたぶん致命的な弱点、欠点があるということですね。
第一駄文、第二駄文ともにその欠点が如実に表れている作品、とも言えます。
第二駄文で試したのは、動きの少ない作品でどれだけ“描写”というものを行えるか、どのレベルまで必要なのか、というそれも実験したのです。失敗だったわけですが。

それはさておき、アドリブの話に戻しますが、この作品、ほとんど何も決めずに書いたという何の自慢にもならない告白をしてみます。
全体の流れすらほとんど決めていませんでした。オレスゲーだろ、って話じゃないです、むしろ馬鹿みたいだと自分でも思います。
この作品で決めていた、というか書くことを予定していたのは神どうのとかいう場面じゃなく、言葉とか世界のこと、とかでもなく、場面として書いてみたかったのは実は体育祭の話でした。
人には見えないモノが見えてしまう、そんな視界からして違う赤の他人と足並み揃えるのはきっと難しいだろうな、という思考からスタートしたとも言えるわけです。
見えないナニカが見える、というそれも特別何かを含めたわけでもなく、たしか……心霊の話だかを見ただか読んだ時に、人とは違う視界を持ってるのって凄く不便なんじゃないか、という想像が膨らんで、それからつらつらと考え始めたのが第二駄文の始まりだったような……。もう覚えてませんけど、そんな感じでした。たぶん。

そして、色々考えて、というか、ふと情景として浮かんだのが体育祭で二人三脚している中学生、という場面でした。インスピレーションというと格好が良い気がしますが、気のせいです。テキトー極まる思いつき、と言ってしまえばそちらの方が大正解ですし。
その場面にどうやって繋げるか、そもそもそんな人と違う視界を持っている誰かに合わせられるのはどんな人間か、という事を考え出して生み出されたのが主人公君でした。
ただ、書き始めた時点ですら、彼のことをあまり明確には決めていませんでした。正確には彼のこと“も”ですが。
彼の母親が作家だったりしたのはあらかじめぼんやーりと決めていましたが、作中に登場させるつもりはありませんでした。なんというかトムとジェリーの黒人おばさんみたいな存在にしたかったんですけど、出来ませんでしたね。やれやれ。
もちろん式條さんなる編集者のことも全く考えてませんでしたし、あまつさえ結婚するとは……、と執筆者としても意外な展開になりました。無責任極まりないですね。
ただ母親さんは書いていてかなり楽というか楽しい存在でした。きっと重なる所があるのなら彼女にこそ執筆者が投影されているのかも知れません。されていないのかも知れません。自分の事とか良く知らんのでそんな感じでぼかしますが。

あ、そうそうまた思い出したので書きますが、あと一つ実験的要素がありました。
それはどれだけ登場人物や場面、舞台のことをぼかして書くことが出来るか、というそれも実験として組み込んだはずです。
どこかで読んだ『単なる正解よりも、正解が解らない事の方が読者の意識に残りやすい』というのを試してみたわけです。
つまり、「あぁ、そうなんだ」という納得よりも「アレって結局何だったの?」という不快感の方が記憶されやすいという事だと思います。違っても知りませんが、たしかそうだと思いますよ、うん。

だから友達のことは名前しか明らかにしてませんし、それは答え合わせをするつもりも情報を開陳するつもりも初めからありませんでした。
友達はもとより、主人公君の外見とかも書いてませんね。容貌や名前も一応決めてあるのですが、書く気はありません。
だから最後の最後当たりで『六郷のことは書かないよ』と主人公君が書いているソレは最初からソレありきで文章を打鍵していた、と思って頂いて結構です。

まぁ、なんだかんだ、結局言えるのはこの作品のメインテーマは『不快感』だった、という夢も希望もない裏話だったわけですな。

快、不快だときっと不快の方が記憶されやすいんだと思います。
楽しかった思い出より、辛いキツい苦しい記憶の方が残りやすい気もしますし、そちらの方が共感しやすいのではないでしょうか。
だから文中で『最近のラノベは読みやすいけど味が薄い』みたいな事はこの作品でしたかったことの裏返しになるんでしょうか。きっと“くさや”のような作品を作りたかったのかなぁ、と今では思います。
最近のラノベが実際どうなのかは知りません。正直、自分、小説ってあまり読まないんですよね。去年とか年を通して二三冊くらいしか読んでないかも。下手すればそれ以下かも知れませんが、まぁ、それはいいんですけど。

えっと、書きたいこと、たぶんこれくらいだと思います。
うん、まぁ大体こんな感じでしょうか。

あ、そうだ。
アドリブだったので当然、結末とかも考えてませんでしたし、見えないナニカの正体を決めたのも正月の話を書いている最中の事でした。
人はソレを『行き当たりばったり』というのでしょうね。ぎゃふん。